2010年11月30日火曜日

ジョージ・ワシントン

 アメリカの原子力空母「ジョージ・ワシントン」

あの大統領の名前を戦艦につけてしまう国アメリカ。
それが日本だった場合を考えてみた。


突然、軍事境界線を越え砲撃をしてきた「来た白川人民主義共和国」に対し、近隣国イトヨシ・ワタモトは誠に遺憾と表明。
軽はずみに砲撃をしないよう求めた。

コレに対し来た白川と同盟を結ぶイトヨシが反発。
国連は双方を説得するべく働きをかけるがことごとく失敗した。

30日にはNLL北方軍事境界線付近で合同演習を行い「来た白川」を牽制する目的。
さちよ報道官は「ヨン様にあえるかや~」と不安げな様子だと伝えた。

この合同演習に日本はポンコツ戦艦「きよと・あらき」を投入。
他のイージス艦「みずたに」「なかい」とともに東シナ海細谷沿岸の警備に着いた。

3000万トンの戦艦「きよと・あらき」にはあの人間魚雷「ひでとも・OGI」が1機搭載されていると噂されており付近の住民は「NO!OGI!!」のシュプレヒコールをあげており、重大な社会問題に。
この運動で民衆が押し合いとなり将棋倒しの被害者は以下の通り。
「ツツイ・ヤスヒロ」さん「コンドウ・ヒサヲ」さん「ナカニシ・シン」さん 
行方不明者「ナカニシ・ケンタ」さん「マキ・サン」
またクロこげで発見された身元不明の巨大頭骸骨は「ウエミヤ・アルバトーレ・タロウ2世」さんとみてDNA鑑定し、のこりのパーツについても全力で捜索する方針だ。

さらにこの戦艦「きよと」には「マサタケ300mmマガンダ砲」「トマホークミサイル マコツ」も搭載されておりなんとも旧式なPC「ピンゲー」による制御装置が危ぶまれている。
レーダーは最新式衛生レーダー「てんぞう」を配備。

このレーダーにより伊良湖はもとより東海地区の情報は完璧に近く漏洩するものと考えられる。

山岳民族の「クメ族」は「おれの部屋を返せ!」と一歩も譲らず踏ん張りを見せる中、誤って撃った「劣化ディス弾」がサウジアラビア「石原議長」に命中。
石原軍団は「愛大戦車隊」を投入。報復措置として寺沢運河を封鎖するとともに岐阜から弟を招集し清掃。徹底抗戦する構えをみせ予断を許さない。

同盟国「MCB 先進国種農会議」は経済制裁として鶴亀ホルモンでの謝罪を要求した。
一方、この混乱に乗じ緊張が高まる中、軽機関銃AKY34(秋山34)を手にした武装組織「ゆうせい」は缶代表のそっくりさん「えの」を人質に立てこもった。

警察との説得にも応じず強行突破しようとしたFRKに対し「ゆうせい」側が発泡。

銃撃戦の末、流れ弾にあたった民間人宇野が死亡した。


一連の動きをみてアフリカの最高指導者藤井書記長は自慰を表明し事態の収拾には時間がかかりそうだ。

2010年11月29日月曜日

さあ 月曜日!

仕事ですな~!

土曜日は「もっとー」と浜~アークリッシュ前にできたヒサミ屋に行った。

洒落た店内にはその店を作った「まっちゃん」「おみ」がカウンターで飲んでいた。
グダグダと呑んでいると「みち」「ていおう」「よしか」がリョウスケの2次会から流れてきた。

そして俺達はOKADAに流れた。
たろうちゃんの店だ。

そこでもブーブーと垂れ流し、仕舞いにはCHECK!
するともっとー、「やい!やけにたけーなー!!」 

すっかり?しっかり!もっとーに御馳走になりOKADAの「知らん客」をとっつかまえ送らせた。
「知らないお客さん ありがとう」 笑))
帰りにGRの家を襲うが出てくれず、徒歩での帰宅とあいなった。
翌朝、先日の約束通りまっこいさんちに行った。

グダのみすること数時間。

神が「誘われてもない」のに「手ぶら」で来た。
あいかわらずの「ウンコっす!」

「ちょっと、あんた、何も持ってないの!? 帰って!」

いささかきつめのさっちゃん。

まっこいさんは「おもてなしカレー」の製作に夢中。

嫁が結婚式とかで「クソガキ」を2匹連れていた。

「るいさく」と呼ばれる2匹はカレーを食し御満悦な様子。

こんな 週末だった。

若者らは「ジャッジ試験」 受かったのかな~!

そしてあの大蛇「アナコンダ」の速報が手に入った。

「二川 鶴亀ホルモン」 襲撃せよ!!  (たぶん厨房班)

2010年11月27日土曜日

だ~から 毎日おもしろいっ イエー!

ここんとこちょっと波あった。
グフィーバッカ。流れあり。

今日は「リョウスケ」の結婚式。
おめでとう! りょうすけ!

今朝も早起きして海に行った。

ロンモチ 釣り。

昨日、今日でルアーx2ロストは約-¥4000 ハア つれもせんのに馬鹿くさ。

 そんな中、MAXバカを発見した。

バカでしょ! 笑) 恐らく釣り人。

しかも「豊橋ナンバー」 シンデくれ~

いくら軽でもここまではまるとJAF1台じゃでませんわ~ 

と、アホはほっといて釣り場「ゆーすけワンド」に着けばGR、しーくんと。


鳥山ははるか沖合いにてPARTY。

結局つれず。

LEFTな地形はばっちりなんだが。

今日は土曜日。


呑みいこ~

2010年11月25日木曜日

豊橋動物園

昨日、UNOと投げに行ってみた。

波が結構あり、L,Rともにいい感じで割れているのだが、ココは釣り。

頑張ったが横にカレントがあり・・・   釣れず。


今朝はしーくんから「シーバス、いります?」とメールがあった。
また、釣れたらしい。

仕事はといえば、大量図面が入り、しばらくは軟禁状態がつづくだろう。
仕事につながればいいのだが・・・

http://tkb-kenko.com/

と、硬いことはここまでとし先日の「テラスポ」は多くの反響をよんだようだ。
アクセスがバカ伸びしている。

報道マンとして喜びを感じる。

ただ、登場人物にはすべて未了解、不承知なのだけは確かなので街で見かけても手を出したり、顔を出したりしないで頂きたい。

特にこのヒトははイカン。
この男をご存知の方も多いだろう。

岐阜から上京した(仮名) Jだ。

大学に負の遺産 「J’BAY」を残し8年で中退。
TSAの駐車場係に名乗りを上げ、会が始まるや否や「フリチンブリッジ」を披露し世間をあっといわせたのも記憶に新しいが、なんとあの「ZH SURF GARAGE」の店員だったというから驚きだ。

しかも持ち前のセンスでヒザを故障。
2年のブランクを乗り越えLONGに転向。

掘れた波に「ダブルウィング」でのると「五木ヒロシ」ばりのCUTBACKで見せるという荒業をも持ち合わせている。

今年にはついに愛知支部LONGBOARDクラス優勝、全日本選手権に出場を果たすが波の小ささに激怒。

他選手のマエノリを繰り返し「なんだ、あいつ」と各支部からブーイングの嵐を浴びるもがっちり予選落ち。

勝手に帰路に着いたかとおもえば「千葉」に寄り道。
友人の「やべっち」と酒を酌み交わし もみあげ、いやお土産にパワーバランスを持ってくるという快挙をあげた。

しかしこの暴挙を彼のスポンサーは面白いはずもなく「ディス」られてしまう。
そんなおり待ち構えていたモルディブTRIP。

SURFから釣り、酒と自在に動き、相部屋は道端というコンディションをフルに楽しんだ。


しかし・・・ 彼の快進撃もここまでであった。




失職・・・・   休みすぎ・・・   当たり前である。


だが、それがいい とばかりに私生活は充実。
3/5フルスーツも手に入れ、今年は日本海、行きまっせと気合が入る。

なぜか!?


それは彼を支えるサポート体制にある。

アニキ肌の彼に世話になった(呑み会などで)後輩は今でも彼を蛇の化身「カリ・スマ」として崇拝する。
ただ、その神でも救えなかった男が写真左に写り込んでしまったのは当方のミスなんだが。

そしてこのサークル(円)は冒頭に触れた「UNO」も信者の一人だといえる。
UNOを飲み込みまるで「セル」のように完全体を目指しているJに注目が注がれる。

すべてのライセンス、仕事も彼女もなくした彼は一体どこへ行くのか。


その行く先は 誰も知らない・・・。

2010年11月24日水曜日

寺沢スポーツ新聞~ワールドトピック~

 先に開催されたUNO先進国首脳会議で以下の案件について発表があった。

先日の土曜日、TLL(寺沢軍事境界線)にて、違法に進入してきた「土日連休よそもの野郎」通称DQYに我国秘密特殊部隊「DIS」通称ディスが猛烈な集中砲火を浴びせた。

調べによるとディス部隊体調「よしか」は、23号線の延長により交通の便を頼りに集まってくる「わけのわからんSURFER」に対し威嚇発言。

「ためーら!!あがれ!! なにしきとるだ!! このクソ野郎!!」とすでに死滅したかと思われた「ローカリズム」を展開。

ニヤニヤする豊橋地区の若手に対しても「ためーらもおなじじゃ!!」と発泡。

緊張感の高まる中、あのセットハンターUNOが近づくと「ハゲ散らかすぞ!このやろー!!」と暴言を吐いたとして更迭された。

この事案を重視したコク連は「高塚に避難しとる場合じゃなかった」と声明し、事態の沈静化を図るとともにYPK議長に陳謝した。

そのころ浜名湖方面で作戦を展開してきた鬼ディス将軍「第5」がこの抗議に猛反発。
「ディスられるヴォケが悪いんじゃ!」と斬りかかるとカウンター越しの猛将がジョッキ片手に参戦。

「おい!トゥモローってなんだっ!?」とキレてしまうとFDDはおでんを注文。
「銀色のマークⅡバンってそんなに恥ずかしいかね~?」と持論を展開し、「最近ジギングが飽きてきた」とのたまわり、今回の砲撃に対しスギヤマ誠に遺憾っと声明を発表した。

このディス部隊の蜂起で治安の悪化は免れず、西方であったディス教MC派とOMI派の緊張はよりいっそう高まりをみせ、岡崎方面隊の「騎馬隊」にも収集がかかることは間違いないだろう。

一方、尖閣問題の取材に出かけたまま消息を絶った「ヘビケン」は遺族のたっての希望でコロンビアの農場に遺棄され、司法解剖の結果、死因は「遅刻と判明。
一部のサンドイッチマニアからはすすり泣く声がもれた模様だ。

今回の騒動を受け永世中立じじいの「マサタケ」は

「やっぱフィリピン、いきてえやぁ~」と訳のわからないコメントを残しこの世をあとにしたという。

国内では失言問題で揺れる「えの政権」の支持率が急落し、解散総選挙が近づいてきたともいえるだろう。

~コイター通信 藤井特派員~

2010年11月23日火曜日

勤労感謝 ~ あるアナーキーなヤツの場合 ~

旗日ですね~!
勤労に感謝してますか!? 

毎年、なぜか勤労感謝の日は仕事。
そこで今日はある若者のLIFESTYLEについて振り返ってみた。

その男は、まだ20代になったばかりにあるCAFE BARにて知り合う。
当時の彼の相方は、あの記憶にも新しいモルディブ共和国で昇天、「神」の異名を持つ「鈴木としや」(仮名)だった。

当時の彼はまだやせており、その頭蓋骨格から「でかいたろう」略して「でたろう」と呼ばれていた。
その頃はもう一人の「たろう」がおり、年下のたろうはDEという文字をつけられ選別されていた。
そう、第一形態「でたろう」の誕生である。

時は1995年頃、彼はまだ「S自動車」に勤務していた。
夜勤などをこなしながら朝夕と海に通う姿は、その周りの若者と変わらずただの「クソガキ」くらいにしか思わなかったのだが、「でたろう」は少し変わっていた。

「建工杯」の準備に後輩を連れて現れた「でたろう」はオレに海の便所掃除を任命され3ヶ所の便所を綺麗に清掃。
「おい、きれいにしたか?今から行ってオレがなめるで止めたら殺すぞ」
のめちゃぶりに
「いや、俺がなめますよ」と正解。

ステージでは「氣志団」を忠実に再現して見せた。

このころである。
釣り行くめえ、と出かけた神島をノリのよさから連泊となった彼は、長年勤めた「S自動車」に電話。

「はい、わかりました。かえったらちゃんと言いに行きます」と答えるとよく翌日には辞めてしまう。

そう。第2形態「プーたろう」へとへんげしたのだ。

おりしも4号機全盛の時代は金銭に困ることなく、自堕落な生活は彼の容姿を変貌させるのに時間はかからなかった。

若者からは「でぶのたろうででたろうなんすか?」とか聞かれる始末。

そんなころ、彼を救うべく一人の「女神」が彼に舞い降りた。

周りの同級生が血痕と言う無間地獄に片付いていく中、みんなの前に「彼女です」と連れてきた「でたろう」は体勢をたてなおし、「普通の幸せ」に走るかと思われた。

しかし、彼は「安定」を選ばず「孤独な家畜」いや「一匹狼」として生きる道を選んだ。

勝負の正解に身をおき、SURFに釣りに「あそぶ」という行為を追及する姿にあのGRまでもが「どいい」とつぶやくくらいの生き様を見せた。

だが、日本経済はバブルがはじけ不景気のラセンを一気に下っていく。
アミューズメントホールにも漏れなく押し寄せる「規制強化」に彼は生きるすべをなくしていった。

自分で弁当を作り、後輩から取り上げた車で海に通う毎日。
彼は「独身貴族」から「ルンペン」へとまっしぐらに歩いていった。
このままでは・・・・  でたろう絶対絶命の危機。


そこで海のみんなで考えた。
なんとか彼をすくう道はないものかと・・・。



第3形態の発動である。
みなさんも一度は食しただろう。

「ブロッコリー」と書かれた軽トラ。いい加減な味の焼きソバ。ぬるいBEER。
彼はその「屋台スタイル」で2年という歳月の中、着実に「ファン」を増やしていった。

そしてフェスティバル系は「建工杯」から「NECO祭り」へ。
釣りは「植田」から「矢作」へ。


時代は思ったより早く進んでゆく。

ブロッコリーの収入は夏場は良いのだが、冬はほぼゼロ。

わずかな収入は「接待」の為、夜の街に消えていった。


人脈を大切にする彼の周りには人が絶えず集まり、その時々でシーンをこしらえてきた。

そこで彼は思いついた!

イベントをやれば「がっぽがっぽ」と儲かるんじゃないかと!

第4形態 NO GENERATION の始まりだ。

この変体に周囲は驚きの声をあげた。

「ええっ!いつのまに!? あいつCLUBなんてぜんぜんいってねーじゃん!!わらえるう~!」と驚きの声で語ってくれたのは同世代の友人「YPK」である。

でたろうの活動に共鳴したYPKはでたろうの殺し文句である「ヤバイ空間つくりました」をスッテッカーを無断製作。後方援護に徹し、更に DOBLE CAB、 Rマニア と続々とブランドを巻き込んでいった。

この時期になるとでたろうの身体は完全に肥大化。
まことしやかに「ニート」が「ミート」になった、とつぶやかれたものだった。
そしてついに彼は職を得る。再就職だ。

やさしい先輩に「店」を任された彼は、「OKADA マスター」として君臨。
常連の下客「きゃ田村ー」を相方にオリジナルマッサージを繰り返す。
いまのところこの第5形態でとどまりを見せいているが、彼の今後の活動にはいっそうの注意が必要だと軽殺ではみている。

この店のカウンターの中で男を磨き、すでに「かわいらしさ」をもまとってしまった彼はお客さんからも「めっちゃかわいー たろうちゃん」の愛称でひたしまれている。

みなさんも是非「OKADA」をチェックしてみてわ?

追記:忘年会シーズン年末に向け、防犯上「自転車の前かごに宇野を乗せないで!」とのキャンペーンを実施していく方針の発表が先程あった。


勤労感謝の意味を含め、ある男のサクセスストーリーを今日は書いてみた。

2010年11月22日月曜日

忘年会 サーフィン

土曜日、朝一ルアーブン投げのち仕事~高塚でSURF後一旦帰宅。

風呂入りクメ待ちの浜の家~ 会場 KEEPERへ出頭した。

カネがないので「ツケ」である会費は¥3000 大会¥4000
「ない」の一点張りで受付を通過。
ひろあきさんも準備を手伝う。 斬っているのは今朝釣ったばかりの「わらさ」 

メニューはぶりしゃぶ。
やがて続々とメンバーが集結。
30名ほどかな~ 笑)

会場はKEEPER 2F 「鳳凰の間」 

乾杯の音頭は「たくみ」が行いもりあがる。

豊橋勢もかなりおよばわれしており、かなりの猛者もちらほら。

「事件はおきる」

オレの予感は的中した。


前回大暴れの「中村先輩」は自身の行動にブレーキをかけながらの運営。

会が進めば酒も進む。
やがて「スケベ」になる YNG君。 しっかり絵は押えさせてもらいましたよ。

楽しい会は和やかに進んだのだが・・・

「サーフィンの話だけはやめてくれ」と思ったのもつかの間、マッコイさんとオミが語り出した。


コウナルトマズイことが必ず起きる。

ディスの嵐は鳳凰の間をかけぬけて行った。

1Fに避難し、カラオケで対抗する。

そうこうしているうちに 爆酔睡

AM6:00 起床。

この日は大会。 死ねやクラスでのエントリー。
「DJ たろうちゃん」もエントリー。 がんばれ!!たろうちゃん!!

波は 腰~胸 

結局1Rでカルク負け。

あとはカレーとふくじんずけでBEER。

Sクラスの優勝はかなめちゃんでした。

我らがしょうたは2位。

2日間、非常にたのしかったです!

KEEPERさん、みなさん!ありがとうございました!!